0303-IMG_6456

  Page3  Page 2へ

『和歌山の地で58年 〜椅子張用モケットを作り続けて〜』

創業当時のお話で、印象的なエピソードなどお聞きできますでしょうか?

「ガチャマン」って知ってます?

 

何ですか?特撮ヒーローの事じゃないですよね?

当時、織物産業に従事していた職人さん達の事をそう呼んでいたそうです。名前の由来は、機をおるときの音かと思いきや、実は違うようで(笑)。機を織るごとに札束が舞う・・・!というような、凄く稼いでいた職人さん達のことを表した呼び名だったんですよ。

 

直接的なネーミングセンスというか、なんと言うか・・・!

良い大学を出て大きな企業で働く人よりも織機職人さんの稼ぎの方が何倍も良かったらしく、当時の様子が伺えるエピソードです。

 

なるほど。では良かった事の反面、良くなかった・苦労したお話もあるはず。今だから言えるエピソードはありますか?

そうですね。最盛期の頃、父が改造した織機で織った生地「アストラカン」の大ヒットで、うちの工場もフル稼働していたそうで、今となっては思い出話として上げられますが、同業他社の方から嫌がらせを受けた事もあったそうです。

 

どんな嫌がらせだったのか、具体的に聞いても・・・?

夜のうちに工場に忍び込まれ、織物にとって重要な織機の経糸(グランド糸)をことごとく全て切られ、すぐに機械を運転できないようにされたそうで(苦笑)。

 

なんて酷い事・・・!営業妨害じゃないですか!

そうですね。現代では考えられないエピソードです。それだけ父が開発した技術が革新的で、「アストラカン」が本当によく売れて儲かっていると羨ましく思われたんだと思います。

0304-IMG_9922

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

他にも面白いお話、ありますか?

そうですね、「職人さんはやっぱり凄かった〜」という話になるのですが。私自身実際に見た訳ではないので、どういうことをやっていたのか想像できない伝説話になります。「ドビー」がない織機で柄を作り出す事が出来る職人さんがいたらしいとか。

 

えっと、その「ドビー」って何でしょうか?何がどうのように凄いのか教えてください。

説明しますね(笑)。パイル織物ってそもそも特殊な織物でして、織機もそれ専用の特殊な機械を使っているんです。経糸と緯糸のうち、経糸が2ビーム(二種類の経糸が使われている)になっている点なんか普通の織物と違う点ですね。経糸が上がったり下がったりする際に、開いた経糸の間に緯糸を通す工程を繰り返して布を織っていくわけですが、完成させるにはさらにもう一工程必用になってきます。実は織上がってきた生地は二枚分同時に織りあがった状態で、カッターを使って上下2枚を繋いでいる中央部分を切り離さないといけないのです。専用織機にはナイフがついており、左右に高速移動しながら上下が一緒になっている生地の中央に刃を入れ裁断していきます。これで、両面同じ柄のパイル生地が2枚出来上がるのです。

 

なるほど・・・で、「ドビー」とは??

緯糸を通すために上下運動中に二本通してある経糸を開かないといけないわけで、その開く仕事をするのが「ドビー」という機関になり、パイル織物の柄を出すには欠かせない機関になります。

 

それが無い織機で、柄有のモケットを作っていたといことですか? 

そうらしいです。職人技としか言いようがなく、どうやって作っていたのか「謎」なので伝説のように今でも語り継がれています。今となっては作業工程を見ることはできませんが、実際に見られるものなら目の当たりにしたい職人技の一つですね。

 

続きは、2016年5月初旬に公開予定! ご期待ください!!!

其の1 Page1へ  Page2へ

其の2 Page1へ  Page2へ (New 4月26日掲載)

TOP